我慢すること。甘えないこと。
うまい甘え方、というのがあるらしいけれど自分にはよく分からない。
甘えってきっとコミュニケーションの要にある要素の気がする。
「全体を考えて」
とか
「周りと調和を考えて」
とかそういうものを無視して、
「自分はどうしたいか」
ということをはっきり言える人の周りには自然と人が集まってくる。一緒にいても実際楽しい。
自分は頼られるともちろんうれしいし、そういったアプローチがあるだけでその人には愛着がわくけれど、自分自身はそういったことが上手くできないのだと実感している。
あまり周りのことなんて深く考え過ぎない方がいいのかもわからないね。
自分がする行動によって相手がどう思うかなんて行動に移した後でないとわからないのにうじうじと悩むこの性格は今後一年間くらいで治して行きたい。
今の自分の核にあるのは「甘え」だ。多分。
タヨリたい。ハナシたい。ウチアケたい。
ミトメテほしい。ホメテほしい。ウケイレテほしい。
一緒に歩むヒトがほしい。
一人では寂しすぎる。けどこの感情を行動に移せない。行動に移すのはミットモナイことだと感じてしまうからなのだろう。
演劇をやっていた後輩がいつのまにかエッチなアングラ写真集のモデルになってた。感性を大事にしてても品性を捨てたら意味ないだろうと友人と酒を飲みながら笑った。
品性。多分これが自分の中で強固な位置を占めている。
世間体、とはまた違ったものだと思う。感覚としては「お天道様」信仰の感じがする。
自分の中にある常識というか、今までの指針が、自分の欲求を叶える邪魔をしている。真面目なんだなぁきっと。「律」と「欲」の狭間で揺れている。
最近は業務中に泣きそうになる時がある。仕事はうまく行っている。一年目で170人くらいる部署のなかで、トップテンの常連にはなれた。
けれど、ものすごく虚しい。
一年前とは比べものにならないくらい、外見にも気を遣うようになった。貯金も豊潤にある。
けど虚しい。
言いようもない感覚で、ふっと今やっていることを全て投げ出して逃げ出したくなる時がある。
自分が、一生懸命に考えている、気遣っていることがあまり目に見えてフィードバックされていないからだろうか。じぶんという存在が昔に比べて悪い意味で軽くなった。
そうだ、軽くなったんだ。
昔はもっと密接な関係性が周りにあった。自分がいなくなったら、少なくとも噂話くらいはしてくれるだろう関係性が。今はそんな関係性がなくなったように思う。
多分今逃げ出したとしても、周りは一週間くらいは大騒ぎしてくれるだろうけど、そのあとは全く話をしてくれなくなるだろう。すくなくとも、引き止めてくれる人なんていない気がする。
職場にそういう関係性を求めること自体、自分の甘えなのだろうか。
職場の同僚と話はする。けど、びっくりするくらい表面的だ。プライベートの話なんて一切しないんじゃないだろうか。こういうもんなのか、社会って。
今はなんとか頑張れているけど、あと一年こういう環境に居続けなければいけないのなら、自分は精神的にやっていけない。
本当ならこの文面を印刷して職場にばら撒きたいんだ。
「今の自分はこういうこと考えてます!」
と、同情をヒキたい。自分をミテほしい。自分のハナシヲキイテほしい。
矮小な考えが最近はずうっと自分の中心にある。
全部が全部自分の甘えなんだってことはもう分かり切ってる。
結局わかってるんだ。やってくしかない、変わるしかないって。