男だからこそやさしい文章が書けるようになりたい

男がブログを書くと硬い文章になりがち、というのは一般的な理解だろう。

一文毎の熟語数が多く、やたらと~的が多い。

論理的な文の組立を好み、屡々他者の引用を好む。

そして、なんか読みにくい。しっかりしたこと書いてあるのだろうけれど、読みにくい

 

この書き出しは少し意識して硬い文体にしているけれど、少し油断するとこういう文章になってしまう。

多分、こういう書き方が出てしまうのは男の見栄ってやつだと思っている。

そしてこういった書き方をしている人の等身大の姿は見えてこない。その人の本当の姿も見えてこない。

 

易しい書き言葉が使える人に今はなりたいと思っている。

 

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと

 

井上ひさしの言葉だ。

今年の初めにこの言葉を知ったとき、「これだ」と思った。

別に文章のテクニックうんぬんだけの話ではなく、心構えとしてこの言葉は留めている。

 

ところで自分はお酒を飲むと平易な文章がかけることに最近気づいた。きっと順序であるとか、論理であるとか、見栄であるとかそういったことを抜きにして言葉がすらすらと出てくるからだろう。

 

20代、社会人、インドア派というタグ付けができる自分は、けっこうどこにでもいる人間なのだと最近は考えるようになった。これは決して自分に対する諦観の念ではない。

 

ただ、それに抗おうとするのが時々出てくる堅い文体だ。

と、分析している。

少しでも特別に自分を見せたい。少しでも自分を賢く見せたい。

もう一度、「男の見栄である」

最初に読みにくい文章と書いた。

もしかすると無意識に読みにくく、理解されにくく、書いているのかも知れない。

子供に大きく見えた大人や未知はみんな全部は理解できなかった。

全部は理解できなかったものに男は多分憧れるんだと思う。

そういうわけで、男の硬い文体は鶏のトサカみたいなもんだと思ってる。

 

ただ、自分の書いたそういう文章を省り読むと、スケスケの自尊心が見えて

とっっっっっっても恥ずかしい。そして単純に読みにくい(笑)

こじらせ系女子という言葉があるが、こじらせ系男子ほど見てて痛々しいものはない(それとも「おねえさま方」には愛おしく見えてたりするのだろうか)。

 

少し話がずれてきたので本題に戻すと、自尊心、プライドというものは色々なことを伝わりにくくしてしまう。

感情も、情報も、人柄も、色々なことが少しもったいない形で相手に見せてしまう。

なんか、結局のところ自分が今悩んでいるのってそういうことだと思った。

 

簡単にまとめると素直に表現できるようになろうってことなんだけど。

このブログで書き言葉を易しく、してゆきたいと思っているということなんだけど。

ひねくれ者にはお酒の力を借りないとしばらくは難しい所業ですねー