サロン的なコミュニティが欲しい。

あくまで趣味でだけれども、

くだらないことを各々の立場を考えることなくだらだらと話し合える場を作りたい。

 

昔は大学の部室がそういう空間だったけれど、あれがやはり今でも憧れだ。

多分オフ会とかが一番近いんだろうけれど、オフ会はなんか違うんだよなぁ。

空気感はTwitterが一番近いけれど、やっぱり実際に会って話す方がずっと楽しいし、実感が持てる。

 

集まることを目的とするのではなく、なんかふらふらっと立ち寄ると誰かが必ずいて、漫画とか読んでて、「それ面白いんすか?」みたいな会話からあっちこっちに話題が飛んで、いつの間にかなんか面白いことやろうっていう方向に会話がなっていく。

 

あの空間は本当に魅力的な空間だった。

知らない人がいても大抵誰かの知り合いとかで、自然と色々な人と話すことができた。

自分の趣味嗜好と関係のない人達と多くつながりを持つことができた。

これから生きていく中でああいう贅沢な空間を作れれば、もっと人生が楽しくなるんだろうなあ。

どうやって作っていくかはこれからおいおい考えていいくけれど、ぱっと思いつく方法は全部金がいるんだよねぇ。

 

あとなんかこういう発想を題材にしたアニメがあったと思うのだけれど、題名なんだっただろうか。

 

ある女の子がサロン的な部活を作ったがいつのまにかいなくなり、そこにその女の子の妹が入部してくるという話。日常系であったはず。

頭で映像は思い浮かぶのだけれども思い出せない・・・

 

誰か覚えている方がいらっしゃいましたら教えてください。

iPhone5sでのテザリングがWindowsPCでできない。

WiFi接続は可能だけれどもUSB接続でテザリングができない。

カフェで久しぶりのノートPCライフを送ろうとしていたのに困ってしまった。

 

20分ほどiPhoneでネットサーフィンをして調べた結果、

USB接続でテザリングをするにはiTunesをインストしなければいけないとのこと。

 

できるだけノートにはiTunesを入れたくなかったのだけれども、

こいつにもどうやら頑張ってもらわなければいけないらしい。

聖剣の出自

中学生くらいのころ観た映画で、印象に残っている映画がある。

ジャンヌ・ダルクの生涯を少しダークに描いた映画」だった。この頃の自分は中二病真っ盛りで、「善とは」「悪とは」「正義とは」みたいなことを悶々と一日考えていても飽きないような、変人だった。

概念をこねくり回すのが好きなのは今でも変わらないけれど、「それ考えてどうすんのよ。どこで話すのよそれ」というようなことを考えていたのは多分人生でこの時が最高潮だったし、最高潮であると信じたい。

 

まあ、それはいいとして。

 

そのジャンヌ・ダルクの映画で私にとって衝撃的だった場面があった。

ジャンヌが敵軍に捕らえられ神への信仰心を自問自答する、という場面だ。

 

「私は草原で剣を見つけた。あの剣は神からの啓示であり、それを信じて私は今まで闘ってきた。」

 

超常的存在がジャンヌのこの発言に問う。

 

「お前にその剣をくれたのは本当に神だったのか。気まぐれに戦士が草むらに捨てていったのでは?あるいは偶然誰かが落としたものだったのでは?」

 

「ただ、お前がこのような可能性を捨てて取ったのは、神の啓示という非現実的な理由だった。」

 

「剣の出自にお前は、自分に最も都合の良いものを選んだのでは?」

 

結論から言うと、この彼に対するジャンヌの答えは語られなかった。ジャンヌは何も言わぬまま、火刑の段を上り、処された。

このくだりは何故か中学生の自分に突き刺さった。その証拠に今でもこのことを思い出す。

あのジャンヌの「神話」の基盤が簡単にゆらぎ壊れた時、自分の中でも何かぽっかりと何かを壊されたような気がした。

またあの頃はジャンヌと同じ問いかけをされたときに、自分も何も答えることができなかっただろうと、そしてジャンヌも答えを自分で見つけられないまま、死んでいったのだろうと、絶望的な結末に思えたからだ。

 

だが、今では少し違う見方ができる。

 

ジャンヌを聖戦に走らせた剣にはきっと決定的な意味はなかった。

剣はただのきっかけに過ぎず、彼女が偉業を成し遂げることができた一番の理由ではない。大事だったのは何かを成し遂げようとする彼女の意志であった。

 

剣の出自がどんなものか。

それが価値であるものであるか、そもそも実在するものだったかどうかを問うことに果たして意味があるのだろうか。

 

人は思い出を脚色して自分だけの物語を作り上げる。

きっかけはしばしば重要な立ち位置を物語では与えられるけれど、現実で重要なのはきっかけではなく、その後にその物語の主人公が何をしたかだ。

 

例えば自分のこの文章を書かせたのは「ジャンヌ・ダルクの生涯を少しダークに描いた映画」だ。実はこの映画のタイトルもはっきり分かっている。ミラ・ジョボヴィッチ主演のこの映画だ。

 

ただ、おそらくこの映画を実際に観た後ではこの文章は書けなかったと思う。申し訳ないがジャンヌの自問自答のくだりも、「こんな風だったかなぁ」とぼんやりしながら書いた。この文章に限って言えば、このくだりを映画に忠実に描写することに意味はない。

 

ただ、この書き物の最初のきっかけである映画が、もし私の妄想であったとしても文章が意図するところと価値に変わることはないだろう。

何を言わんとするわけではないが、物語には往々にしてそういうことがあると今では思う。

印象に残っているアニメの備忘録

個人用メモ。
 
おとな帝国の逆襲
デュラララ
かぐや姫のものがたり
パプリカ
健全ロボ ダイミダラー
東京レイブンズ
ブラックロックシューター
キルラキル
日常
TIGER&BUNNY
Phantom
ペルソナ4
BACCANO!
鋼の錬金術師 FULL METAL ALCHEMIST
アカギ
ぼくらの
REDLINE

MONSTERZ 感想

酔いもそろそろ回ってきたので、一気呵成に書いてしまおう。

結論から言えば、DVDを見ればいいです。

決して誰かと見に行こうとしないこと。

自分みたいに底意地の悪いやつと一緒なら、観た後のつっこみ合戦を楽しめる映画です。

 


映画『MONSTERZ モンスターズ』予告編 - YouTube

 

 

映画のはじまりからして、なんかいやーな予感がプンプンしていた。

まず、他人を自由に操れる能力を持つ藤原が、幼少期に母親からAKIRAを渡されるシーン。

いやいやいや。あれ中学生にもならない子供に読ますような漫画じゃないだろ。しかもあれ、一巻だけだよね多分。一巻て多分テツオの暴政時代が続いているときだよね。

あそこでAKIRAをキーアイテムにしてしまうこと自体、監督の考え方はどっかずれてる。

 

銀行で操られたあと正気に戻った後の銀行の中の演出、ひどい!

あの絵に書いたような騒然とした感じなんですか。あんな一斉にみんな騒ぎ出しますか。非日常風景に違和感を覚えてしまうのはなかなかありませんでしたよ。

 

あとな、オカマとオタクの最初の引越しのシーンのギャグまがいのやり取り。さぶい。びっくりするほど寒い。久しぶりに映画館でため息つきましたわ。

ブシロードが協賛に入っているからといって安易にそれを作中に出しちゃうのはどうなのよ。「ガード」じゃねぇよ!ポップコーンスクリーンに投げつけようと思ったよ!

 

藤原が主人公・終一(誤変換ではなく本当にこの字)君を追い回すシーン。あの顔芸はあんまりシニカルではない感じの女子高生ですら笑ってましたよ!

 

脚本が馬鹿。脚本が馬鹿。演出も馬鹿。映画のつくり方とかよくわからないけどストーリーを作っている陣がクソ馬鹿無能。

全てが子供だましで、そんな子供だましのストーリーラインに添って一生懸命演技している役者たちが滑稽で滑稽で哀れ過ぎた。

途中からスクリーンから目をそらしっぱなしでした。

 

一人で来て、よかった。

そうここまで思えた映画もありません。

あ、デビルマン(実写版)をDVDで観た後の感覚に似ているかも!

あの時もB級とは分かっていたものの、期待してみたら最悪だった、というパターンだった。

 

超映画批評「MONSTERZ モンスターズ」70点(100点満点中)

 

というかこの映画になんで70点もつくの????

 

「MONSTERZ モンスターズ」は、優れた監督と優れた役者の能力がかみ合い、うまくいった娯楽作である。

うまくいった・・・?優れた役者の能力だけは異論ないけれど。

それにしても、誰であっても目力で操ることができる。藤原竜也にこんな能力を与えたら、秒速で1万人斬りを達成してしまいそうだが、この映画の主人公「男」そんなノーテンキさはみじんもない。

ノーテンキという言葉が何を指しているのかはわからないけれど、ほっとけばいい山田孝之に何度も何度もストーカーのように近づく藤原の姿はギャグだったし、目力も顔芸でしかなかった。

というのもこの恐るべき力には強い副作用があり、そのため男は肉体をハイスピードで朽ちさせながら生きているのである。それが明らかになるシャワーシーンの衝撃はかなりのもの。ホラー映画でこの手の描写はお手のものである中田秀夫監督の真骨頂といったところだ。

この説明だけ聞くと作中で何度も何度もこういう演出がされたように感じるかも知れないが、実際に作中でこういった描写がされたのは二回くらいしかない(しかもかなり控えめ)。

ただ実際にこのレビュー振りかえってみると、褒めているのは終始役者のことばかりだ。

肝心のストーリについて言及がないのは「そういう作品ではない」という定義をしているのかも知れない。

それにしても、唖然としたのはこの作品に出演した役者二人の対談内容だ。

 

藤原竜也×山田孝之を直撃!『MONSTERZ』は笑えるサスペンス映画!? | 女子SPA!

 

山田:本作の場合はエンターテインメントとして観てもらえればいいと思ってるんです。それこそ僕としては笑ってもらってもいいと思ってるんですよ。緊張している場面でも。いやいや、そんなことないでしょとかって(笑)。

 それでもいい映画だと思うんです。なんか実際にこんなことが起きたらどうしようとか、そういう風には捉えてほしくないですね。

 

なんか「うまくいかなかったところも含めて笑ってくれればいいんすよ」みたいに逃げ口上を最初から用意してしまっているところが気に食わない。

いやいや、そんな言葉を履けるんなら作品のクオリティーとか必要ないですや~ん。監督の力量とはなんぞやですよ。これ言い出すような映画ならYoutubeの素人動画見ますよ。

 

最後のEDテロップ(何故か縦書き)で監督の名前はメモった。もう二度と中田秀夫監督の作品は見ないと誓った。

 

これくらいつまらなかったです。

ご参考ください。