詳しくなればなるほど何も語れなくなるから、ある程度深く知ったらすっと引いて違う場所を探すスタンスをなんと呼ぶのか

なんの分野でもそうだけど、ある程度知ってくると自分が全くものを知らないんだとわかってくる。

 

自分の好きだった小説のあらすじが実はある有名な古典小説のあらすじとそっくりだったり、

革新的だと思っていたアニメのアイデアが、実はその界隈では有名な小説のアイデアだったりとか。

最近では「超時空要塞マクロス」と「星を継ぐ者」との類似点がとてもショックだった。

 

こういう考えかたは潔癖症過ぎるのだろうか。

例えばある小説αの「A→B→Cという話の流れが大好きだ!」と思ったとしよう。

それであるとき、その流れと全く話の流れを持つ小説βに出会い、かつこの小説βに影響され小説αが制作されたのだと知ったとき、なんだか自分が小説αを好きになった事自体が酷く軽薄なことだったように思えるんだ。

 

そういったところから、自分は自分の好きな事についてあまり語るようなことができない。

「そんなのが好きなの?」

「それしか知らないの?」

「そんなことも知らないのに好きって言えるの?」

 

もっと好きなものやことを自信を持って好きって言いたい。

深く知らなくても好きと言えるようになるのに必要なのは、

自分自身への自信なのだろうか。

 

ここらへんは恋愛とかへの価値観と似ているのかもしれない。

人よりも知っていることが好きであることの条件、みたいな。

そんなことないっていうことは、分かってはいるんだけどね。

 

好きっていう感情に論理的な理由をつける事自体非論理的だ。

作品に一目惚れした時に、きちんと説明できる日本語力が欲しいなあ。

簡単にいえば好きになるのって、「雰囲気が好き」なだけなんだけど、

それを表す時の表現方法が見つからなくて、「ヒロインが健気で可愛い」であるとか、

「ラストシーンのこの展開が自分にとって衝撃だった」というような平々凡々な表現しかできないのだ。

 

日本語革命起こしたい。