女の子の葛藤はかわいい。ずるい。
男の葛藤は女々しいといわれる。辛い。
女の子の葛藤は最終的に仲間内で共有されるのが常のようだけれど、男の葛藤は一人で解決するというのが『カッコイイ』というのがお約束となっている気がするのだけれど、僕だけだろうか。
女の子の葛藤はかわいい。ずるい。
男の葛藤は女々しいといわれる。辛い。
女の子の葛藤は最終的に仲間内で共有されるのが常のようだけれど、男の葛藤は一人で解決するというのが『カッコイイ』というのがお約束となっている気がするのだけれど、僕だけだろうか。
ようやくブログで一般的な仕事の経験を書けることに歓喜している今日この頃でございます。
入社して一年たち、生産性、セールス項目ともにそこそこの成績を収め、持ち前のまじめな性格で特に致命的なミスを犯すことなく過ごしてきたからこその結果と信じようと思いますです。
さて、まだ部署に配属されて一週間もたたないのだけれども、それでも己が身を振り返ることはいろいろとあるわけです。
まず一つ目に表情!これめちゃくちゃ管理者が気にしていることなのだと思った。いくら数字の上でいい数字が出ていても、業務中に曇り顔をしている子はひじょ~~~に気になる。表情が曇っているだけで、手放しで業務を任せていいようには思えなくなる。これが一番大きな発見だった。
次にやはり数字。いくら試行錯誤している子でも、「やる気はあるんだけどなあ」くらいにしか思わない。会社にだらだらと残っているのではなく、早いとこ家に帰って英気を養ってくれ!くらいに思ってしまう。自分は現在は一年目の反省を生かして、やることがないときにはとっととログアウトして家に帰るようにしている。
三つ目に、
「上の立場って、さいっこう」
すげええええええええ性格悪い気がするけど、やっぱり自分が一番立場が下っていうのはものすごく気を使う。あと、誰かの為に働ける立場ってすごいやりがいがある。
新人さんがミスしても「いいよいいよ」って感じで頑張れてしまう。自己満足かもしれないけど、自己満足すらできないなんて最悪ですよ。
ここ一年間でタイピングが早くなった。
http://www.e-typing.ne.jp/roma/check/
ただ今家の中のデスク環境は最悪な状態なので、少し整備をしたいと思っている。
昔からL字デスクにあこがれていて、このL字デスクを一人暮らしを始めた当初にぽちったのだけれども、奥行きをあまり考えずに買ったのがまずかった。
モニターとキーボードを置いただけでもう手の置場がないのだ。
デスクを買うときには奥行きを気にして買う。これがL字デスクを使い続けて学んだ一つの教訓だった。
そして断捨離。
いえ~いこれで俺も素敵ライフハッカーの仲間入りだぜ!と思ったのだけれども、
これがなかなか大変である。すべて火にくべられれば楽なのに…
そして断捨離と言っているそばから物欲に次ぐ物欲。人の物欲とは止まらないものである。
【国内正規品】COGITO POP 腕時計 スマートウォッチ コジトポップ Bluetooth腕時計 アナログ表示 メンズ スマートフォン (Black Mamba(ブラック))
スマートウォッチにものすごく興味が出ている。
秋に出ると噂されているiWatchもなかなか興味をそそるのだけれども、
目立つためにつけたいわけではないので、普通の時計に見えるやつがいい。
そういう趣向にあったスマートウォッチだと、上記のCOGITOのやつが一番近かった。まあ、オチから言ってしまうと、Bluetoothで接続するのでiPhoneのバッテリーの減りが尋常じゃないというレビューを観てから一気に興味はなくなりましたが…
余分な機能はなくていいんですよ!リマインダー/アラーム/時計表示この三つの機能があるだけでいいのに。巷にあふれるスマートウォッチってやつはやたら色んな機能を付けたりする。一日と最初と最後に同期してくれればいいのに、なぜそんな簡単なことがわからないのか私気になります!
これ、ものすごく困った。びっくりした。
TSTAYAで久しぶりに1万円分くらいのアルバムの量を借りてきて、手当り次第にドライブに放り込んでインポートした末にiPhoneに輸出できないとわかった時には発狂しかけました(嘘)
penでゴジラ特集をやっていて、「これは…」と思ってさっそく裁断機にかけてドキュメントスキャナーで取り込んだのにiPadminiに入れられないとわかったのはさすがにストレスフルだった。
iPadminiは128GB、iPhoneは64GBバイトモデル。
容量は使ってなんぼですよ!!!
ここまで書くとものすごくインドア派な印象で悔しいので、少しチャラランとしたとこも書いてみる。
いや、チャラランはないか。革靴を磨いてみた。とっても高いクリームで。
世界が変わったね。
まず靴が柔らかくなって履きやすくなった。履いているときに靴の形を気にするということがない。足の形に自然とフィットしてくれる。
革靴の手入れって、主に見栄えのためだと思っていたけれど、実用性も増すのだなあと思った。これからも継続して続けていきたい。
あと、靴を磨くことも好きになってきたから、私物ように革靴を一足買いたい。
黒ベースで結構派手なやつがいいな。チャラっ探したけど、黒ベースの革靴で普段使いできるものってないのかな。
相も変わらず女っ気のない日々を過ごしているが、大学時代に知り合った男友達には日々感謝している。
女の子※ってずるいなぁって思うことがある。女の子※っていうだけで、もう生きている価値があると思う。
女の子※と表現せずに、世の中の女性を「女の子」とか「女子」と表現するところにこの世の功罪があると思う。
男(※ただしイケメンに限る)とは比較にならない。正直ブサイクというだけで女の子といわれずに、あいつ、とかよくわからんあだ名で呼ばれ続ける女の子の悲痛さはブスメンメンズの非ではない。
考えてみれば、TVや新聞、インターネッツで観る男は美醜混じっているけれども、女の子は大抵かわいい(気がする)。
男の歌手とかの顔って、結構きわどい顔があったりする。けどイケメンボイスだからなんだか許せてしまうところがあるし、むしろアジのある顔だと思えてきたりするので不思議だ。
けど、女の子ってそれでは許されないところがあると思っている。
外見というところが本当に重視されてしまい、それで人生のすべてが大体決まってしまうというのが非常に残酷だ。自分はかわいかったら女の子に生まれたいけれど、ブサイクと決まっているなら男のほうがいい。
女の子の外見の人生への影響度は大きすぎる。マジで。かわいかったらたぶん頭空っぽでも「いや、でもそこに癒されるんだよね~」とか言われるけど、外見が悪くてしかも頭空っぽだと…いや、言うまい。
これは社会に出た後に気付いた核心だけれども、ある程度社会的ヒエラルキーと外見というのは比例していくと思う。残念ながらこれは男もだ。
そういえばなぜかうちの会社は上司になるほど背が高いという法則があるような気がする。というより部長クラスは軒並み180㎝越えだ。将来的に5cmの厚底革靴を自分は買わなければならないのだろうか。
このキーワードでアクセス数めちゃ出ててビビった。
というわけで書いてみる。
以下後日記載予定。
近未来。地球は謎の侵略者「ギタイ」の度重なる襲撃により、壊滅状態に陥っていた。防衛軍は辛うじて彼らの侵略を食い止めていたが、敵の強大な戦力になす術も無く、戦死者は増える一方であった。対侵略者の決死の任務にあたっていたウィリアム・ケイジ少佐もまた、敵に何一つのダメージも与えられずに戦死してしまうものの、次の瞬間、彼は戦地に赴く前の時間に戻っていた。その後、何度か戦死し、また前の時間に戻ってしまう出来事が繰り返されるにつれ、ウィリアムは自分がタイムループに巻き込まれてしまっていることに気付く。やがて彼のもとに、自らも同じタイムループに巻き込まれていたという特殊部隊の軍人リタ・ヴラタスキが現れる。彼女と戦うにつれ、ウィリアムの戦闘技術は徐々に向上していった。こうして二人は終わりの無い戦いを繰り返す中で、少しずつ敵を倒す糸口をつかんでいくのだが…。
とてもとても昔に原作を読んだことがあった。
2004年、たぶん初版だった。
この頃の自分はシリアス風ラノベにはまっていて、
トリニティ・ブラッドとか、Phantomとか。
Phantom執筆してたぶっちーもそうだが、
今では黒歴史と思ってやまない自分の読書遍歴が今になって身を結ぶのだから人生わからないものである。
ちなみにトリニティ・ブラッドは漫画版もアニメ版も別物だから読んではいけない。あのゴシック風の挿絵こそがトリニティ・ブラッドの世界観そのものである。
あのころ自分は外国でそれはそれは孤独な中学生活を送っていて、こういった小説を読むのが大好きだった。日本語の活字に飢えていたというよりも今思うと日本の若者文化に飢えていたのかもしれない。
父母が集めていてくれた本は数千冊を超えていて3年間かけて読破したけれど、若者風の匂いがするコンテンツだけが決定的に欠けていた。
話は戻る。
そういうわけでこの表紙であるだけで平積みされていたこの本は買う価値があった。
中身もろくに買ったこの本が自分の好みにガッチャしていたのだから特に印象が残っていた。
『All You Need Is Kill』が映画化されるという噂を耳にしたのは多分二年前、
桜坂洋原作『All You Need Is Kill』がハリウッドで映画化 主演はトム・クルーズ : ゲーハー黙示録
この記事が出た頃だ、と思う。なにぶんこれも昔の記憶なのであてにはならない。
ともかくずいぶん自分として期待に期待が重なった上での鑑賞だった。
長かった…
端的にいってしまうと面白かっただった。
自分は小説版のあの青臭く甘酸っぱい結末のほうがやはり好みなんだなあと思い知らされた。とはいえ、まあまあと書いたのはいくつか面白かったところがあった。
原作のループ世界での成長の仕方はFPS的な上達の仕方だった。
何度も死ねるから、それだけ技術的に成長していく、という描かれ方で、これは漫画版でも共通している。
それが映画版では、「次にこれが来るからこう行動しよう」というようなトライ&エラーの方法に重点が置かれていた、ように思う。まあラノベや漫画と違ってあまり主人公を超人的に描くことができないからしょうがないかもしれない。
その繰り返しの様子がなんというか「スーパーマリオRPG」的だった。
「死ぬとリセットする」という様子は見ていて面白く、またやはりそれは観ている人も感じているようだった。
自分はこの映画を一人で見たけれども、映画を二人三人で見るコンテンツにするには繰り返しの要素をこういう風に使うべきなんだなぁと思った。
『まどか☆マギカ』、『バタフライ・エフェクト』、『ビューティフル・ドリーマー』、『STEINS;GATE』等々とループものは陰鬱な展開になりがちで、実は大衆映画には向かないジャンルだ。
『All You Need Is Kill』も原作も実は途中結構な鬱展開がある。
映画では最終的にキリヤもリタも生き残るのだけれども、原作ではだいぶ違う結末が待っている。まあそこら辺はネタバレしないでおく。
「鬱要素をどうしても内包せざるを得ないジャンルの作品をこういう風に作りかえるかあ」というところに結構序盤は感動していた。
「死んだら色々リセットする」というところに面白味を感じる作品は
くらいしか思いつかないのが底の浅さを感じます。
というわけで、一文でこの映画を観た感想をまとめてしまうと、
「日本のシリアスラノベをハリウッドが商業的にリメイクしてうまくいった映画で、原作とは完全に別物だったけど面白かったけれど、一人で観に行く映画ではなかった」
何人かで気軽に見に行くのがいいと思う。そしてラストシーンで侃々諤々のお話をすればよいと思う。
完全に講師役に徹していたので、ちょっと残念だった。しかももっとゾクゾクってするような強さを期待していたのに「あれ?マジでこの人広告塔としての役割だけしかしてないんじゃね?」ていう印象を持ってしまった。
原作はもう鬼神のような強さの描き方で厨二心をぐっとつかんでくれたからな…
正直ラストシーンはよくわからなかった。
オール・ユー・ニード・イズ・キル/All You Need Is Kill 3ループ目
2Chスレでも同じような意見が多くて少し安心した。
やはりご都合主義でああいうラストになったなのかな…
この映画を観た日に『渇き。』も観た。感想は後日書く…かな。
予告編で気になったのは『思い出のマーニー』『ゴジラ』この二つ。
コミュニティはいくつか掛け持ちしたいと最近は思う。
一つのコミュニティにだけ属するというのは非常に、精神衛生上良くない。
自分は昔、帰国子女を多く受け入れている高校にいた。
そこは化物みたいな英語力を持つやつらばかりで、全国模試で偏差値75超でも、校内偏差値49とか。
自分は校内偏差値49の部類だったので、自分の英語力には非常にコンプレックスを持っていて長らく自分の長所として捉えていなかったのだけれども、会社に入ってからは英語力を自分の強みとして捉えられるようになった。
もちろん逆のこともあって、大学時代はコミュ力があると思っていたけれど、社会人の中ではむしろ底辺に属するのではないか?という疑心暗鬼に最近はなってしまっている。
ただ、ごめんなさい。
「徹夜でダースで負けたらテキーラ!」
とか、
「飲み屋で飲んでシメはキャバクラ!」
とか、ああいう世界にはついていける気がしないんです・・・
という訳で唐突だけれども気まぐれにメールアドレスを書いてみる。
honjomasanobu@gmail.com
何か面白いことが起こればいいな、という消極的な気持ちしか今はないけれど、
色んな人と偶然性で出会って、話してみたい。
年代の違う人、違う人生を歩んできた人と話して、色んなことを吸収したい。
別に自己研鑽とかじゃなく、人生をより楽しむために。
ついていけない世界にもついていけるようになりたいものです。
あと、日常に非日常があるというのは大切なことだと思う。
ネットで人と会うとかやったことがないからやってみたい!
ネカマに騙されるとかやってみたい!
「あれ、チャットネームは確か男の名前じゃ・・・」
とかああいう古典的な台詞を実際に言ってみたい!
都市に祝祭は要りますよ、平田先生!
補足
そういえば昔家入一真さんが電話番号をTwitterのプロフィールに書いていて、電話帳に登録したところLINEの連絡先に出てきて驚いた。
連絡帳に電話番号を登録⇒即連絡可能というのは魅力的だけれども、さすがに一組織人として電話番号を書くのはアウトだ。アウト。
男がブログを書くと硬い文章になりがち、というのは一般的な理解だろう。
一文毎の熟語数が多く、やたらと~的が多い。
論理的な文の組立を好み、屡々他者の引用を好む。
そして、なんか読みにくい。しっかりしたこと書いてあるのだろうけれど、読みにくい。
この書き出しは少し意識して硬い文体にしているけれど、少し油断するとこういう文章になってしまう。
多分、こういう書き方が出てしまうのは男の見栄ってやつだと思っている。
そしてこういった書き方をしている人の等身大の姿は見えてこない。その人の本当の姿も見えてこない。
易しい書き言葉が使える人に今はなりたいと思っている。
むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと
井上ひさしの言葉だ。
今年の初めにこの言葉を知ったとき、「これだ」と思った。
別に文章のテクニックうんぬんだけの話ではなく、心構えとしてこの言葉は留めている。
ところで自分はお酒を飲むと平易な文章がかけることに最近気づいた。きっと順序であるとか、論理であるとか、見栄であるとかそういったことを抜きにして言葉がすらすらと出てくるからだろう。
20代、社会人、インドア派というタグ付けができる自分は、けっこうどこにでもいる人間なのだと最近は考えるようになった。これは決して自分に対する諦観の念ではない。
ただ、それに抗おうとするのが時々出てくる堅い文体だ。
と、分析している。
少しでも特別に自分を見せたい。少しでも自分を賢く見せたい。
もう一度、「男の見栄である」。
最初に読みにくい文章と書いた。
もしかすると無意識に読みにくく、理解されにくく、書いているのかも知れない。
子供に大きく見えた大人や未知はみんな全部は理解できなかった。
全部は理解できなかったものに男は多分憧れるんだと思う。
そういうわけで、男の硬い文体は鶏のトサカみたいなもんだと思ってる。
ただ、自分の書いたそういう文章を省り読むと、スケスケの自尊心が見えて
とっっっっっっても恥ずかしい。そして単純に読みにくい(笑)。
こじらせ系女子という言葉があるが、こじらせ系男子ほど見てて痛々しいものはない(それとも「おねえさま方」には愛おしく見えてたりするのだろうか)。
少し話がずれてきたので本題に戻すと、自尊心、プライドというものは色々なことを伝わりにくくしてしまう。
感情も、情報も、人柄も、色々なことが少しもったいない形で相手に見せてしまう。
なんか、結局のところ自分が今悩んでいるのってそういうことだと思った。
簡単にまとめると素直に表現できるようになろうってことなんだけど。
このブログで書き言葉を易しく、してゆきたいと思っているということなんだけど。
ひねくれ者にはお酒の力を借りないとしばらくは難しい所業ですねー